エンドユーザーの声が企業戦略のヒントになる――。コールセンター業界の変動期を経験したパイオニアに聞く、女性が仕事を続けていく上での「ワーク・ライフ・バランス」。
<プロフィール>
東京都出身。1978年、帝塚山大学教養学部卒業後、1983年に株式会社ベルシステム24入社。営業企画に所属。1986年、株式会社もしもしホットライン創業に携わり、1999年に同社取締役、2008年には同社取締役専務執行役員に就任。2009年、同社退職後に株式会社ジェイ・ソルを設立。
http://www.j-sol.net/
聞き手:松下 宏(履創 代表取締役)
松下 藤田さんは、日本で「コールセンター」という言葉がまだまだ浸透していない1980年代からテレマーケティングに携わり、それを通じてCRM(Customer Relationship Management)、つまり、長期的に企業と顧客の良好な関係を築いていくための業務に取り組んでこられました。そもそも、CRMの世界に入られたきっかけを教えてください。
「予定通り入社1年で寿退社しました(苦笑)」
藤田 私たちの世代にとって、女性が一生をかけて本格的に仕事をすることは一般的ではなかったのです。私も父から「女性でも全く社会を知らないのはいけないだろう」と言われて、大学卒業後は父の顔が通った会社に入社し、予定通り1年後に寿退社をして専業主婦になりました(苦笑)。
その頃は、自分が一般的な専業主婦であることに疑問を持っていませんでした。しかし、父親が亡くなったのをきっかけに、自分のあり方を見つめ直すこととなり、そして、働こうと一念発起しました。新聞で求人広告を探して「これだったら自分でもできるかも」と、ドキドキして入った世界がコールセンターのパートアルバイトだったんです。
松下 ということは、コールセンターの仕事を選んだのは偶然だった、と。
藤田 そうですね。その後、正社員の仕事に就きたいと考え、株式会社ベルシステム24に就職しました。当時はコールセンターという名前もなく、カスタマー・お客様相談室、電話代行業務といわれるような職種でした。
松下 "エンドユーザーの声が企業戦略のヒントになる。コールセンターのニーズは今後ますます高まるという確信をもった"。藤田さんを取り上げた日本経済新聞の記事には、こう書かれていました。この考えに至るまでのプロセスをお聞かせいただけますか?
藤田 当時はテレマーケティングという造語がアメリカから入ってきて、市民権を得始めていた時代。クレジットカード会社が日本で事業展開を始め、クレジットカードのお問い合わせ電話などがスタートした時期でもありました。
松下 クレジットカード事業以外にも、多くの製品やサービスが海外から輸入されてきた時代でしたね。
藤田 新しい事業とともに、それに対するテレマーケティングもアメリカからやってきたのですが、日本で展開する以上、相手はアメリカ人ではありません。日本とアメリカでは文化や考え方も違いますから、アメリカ人が相手の場合にはイエスと言えることでも、日本人ではイエスと言えないところは多々ある。アメリカから輸入されたものであっても、日本流のアレンジがなければ日本の企業では応用できないし、ましてや日本のお客様が満足感を得られません。アメリカ式のままでは、いくらやってもクレームになるだけですからね。
つまり、課題となったのは、アメリカ式コールセンターのメソッドを日本の形にどうカスタマイズするか、どう馴染ませるか、ということ。コールセンターは人が資源ですから、その人をどうやって創るのかに注力していきました。さらに、海外のサービスや製品がどんどん日本で展開されていきましたから、それに応じたニーズは増えていくだろうと感じていました。
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